御殿場温故知新

御殿場の歴史

 むかしから御殿場・小山・裾野地方を御厨(みくりや)といったが、厨(くりや)とは台所のことで、伊勢神宮の台所をまかなうための神宮領に指定され、物産を貢納させる地域は御厨と呼ばれておりました。
御殿場という地名のいわれは、御殿のある場所の意であり、江戸時代に鷹狩りの好きな徳川家康がこの地に御殿を作らせたことによります。この地方が、歴史上に初めて登場するのは古事記の中であります。古事記は和銅5年(712年)に編まれ、日本古代の歴史書とされるが、その中に次のような話が書かれております。

 「景行天皇は皇子である日本武尊(やまとたけるのみこと)に東国の蝦夷を平定するように命じた。尊は西の熊襲を討ったばかりなので、それにはあまり気が進まなかったが、已むなく海路で向かうことにした。ところが相模湾で嵐にあってしまった。そのとき妻の弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)は海中に身を投じて波を静めたので、尊たち一行は無事に房総へ上陸して任務を果たすことができた。彼等が京へもどる途次、足柄山に立った尊は『吾妻(あずま)はや』(我が妻はもういない)といって弟橘姫命を偲んだという。」- 中略 –
御殿場市御殿場にある吾妻神社境内には、「御殿場発祥の地」の碑があります。
(勝間田二郎著「郷土誌」より参照)

 現在の第1東名御殿場インター近くには、便船塚という地名があり、むかしはこの一帯は大沼になっていて船で行き来するための船着場があったとされております。また、溶岩隧道が駒門風穴や御胎内清宏園などで見ることができ、御殿場地方が原始の時代から富士山・愛鷹山・箱根山や丹沢山などの火山活動で、何回となく地形の変化をくりかえした事が、富士山麓の地層が10層にもなることから分かります。

現代の御殿場

近年の御殿場市は、南北をR138で富士五湖ー御殿場ー箱根方面へ、R246が東西に東京ー御殿場ー沼津/名古屋方面を結ぶ重要な交通の要所になっているばかりではなく、第2東名の工事も目前となって観光と産業のいちじるしい発展も予想され、活気のある・自然の豊かな、富士山の映える文化・風土に富んだ街となっています。
詳しくはこちらから 「市の紹介」~御殿場市役所~

 ところで、JR御殿場線(国府津ー御殿場ー沼津間)が昭和9年12月丹那トンネルの貫通するまで、東海道線であったことご存じでしょうか? 御殿場駅前の海抜は、455メートルあり、線路が急勾配のため水平なホームを別に設けてそこへ汽車(以前は蒸気機関車、ディーゼル機関車の時代であった)がバックして入っていました。 これをスイッチバックと呼んでいました。その名残りの顕著なもの(ホームの跡地)があるのは、富士岡駅と岩波駅の現在の線路の富士山側に見られます。富士岡駅のスイッチバック跡地は「富士見台」として、ここから見る富士山も雄大で良いと評判です。
「ごてんばせんネット」~御殿場線輸送力増強促進連盟~

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