なぜ、御殿場で「わらじ祭り」が誕生したのか

2018年「わらじ祭り」開催レポート

毎年、夏祭りとともに駅前で開催されている御殿場の風物詩「わらじ祭り」。
そもそもなぜ、御殿場で「わらじ」なのか。
ここでは、このお祭りの成り立ちを紹介していきます。

毎年、8月最初の週末に開催されている夏祭りは、一年間で御殿場がもっとも賑わう行事です。御殿場駅前の北側に位置する、県道沼津小山線沿いの米山モータース前から湯沢交差点までが歩行者天国となり、その道路沿いには屋台が所狭しと並びます。多くの人で賑わう道路上では、神輿や太鼓団体「富岳太鼓」の練り歩き、ストリートミュージシャンによるライブ演奏、乗馬体験などさまざまな催しが2日間にわたって行われます。

2018年8月5日に開催された「秩父宮記念 第43回富士登山駅伝競走大会」で優勝を飾った、滝ヶ原自衛隊チームの優勝記念パレード。
夏祭り当日は、歩行者天国になった県道上に人々が溢れかえる。
全国最大規模の大太鼓「富士山」を打ち鳴らしながら通りを進む、地元の太鼓団体「富岳太鼓」。
たこ焼き、お好み焼き、チョコバナナといった屋台が並び、夏祭りを盛り上げる。

この夏祭りのなかで開催されているのが、今回取り上げる「御殿場わらじ祭り」です。わらじ祭りの目玉は、中学生以上の女性たちによって結成されたわらじ娘が、大きさ3×1.2m、重さ約100kgというビッグサイズのわらじを載せた神輿を担いで通りを練り歩く「わらじ神輿」。日没が近づくころ、金剛杖の形をした行灯を手に持つ先導に続いて、お揃いのオレンジ色の法被を着たわらじ娘たちが、大わらじを担いで新橋浅間神社から歩行者天国の道路の上へと繰り出します。

新橋浅間神社の鳥居をくぐり、お祭りのメイン通りへと姿を現すわらじ神輿の一行。
御殿場わらじ祭り保存会のリードのもと、人がひしめき合う歩行者天国を進む。
大きな掛け声を出しながら、100kgもある巨大なわらじを担ぎ歩くわらじ娘たち。

夏祭りのなかでは、2人で1m大のわらじを引っ張って速さを競い合う「わらじ競争」が開催されていたり、子どもたちによるわらじ神輿の練り歩きがあったりと、わらじにちなんだ企画がほかにもいくつか見受けられます。御殿場という街にとって、「わらじ」がもつ意味はどのようなものなのでしょうか。

地元の子どもたちによる、ミニわらじ神輿の練り歩き。
重りや人を載せたわらじを2人組で引っ張って走り、そのタイムを競う「わらじ競走」。男女ともに、優勝したのは静岡大学の学生チーム。
わらじ競争の参加者には、地元の自転車チームやサッカーチームなど、体力自慢の人々が集まっていた。

東海道五十三次と富士山とわらじ

ハアー
忘れられない ヨイトコリャセ
忘れられない あの砂はしり ヨーイトナ
切れてくれるな エンサカホイ
切れてくれるな 山わらじ
ソレ六根清浄やエンサカホイ
お山は晴天リャリャントセ
(出典『御殿場音頭』作詞:富原 薫/作曲:中山晋平)

これは御殿場市民にはおなじみ『御殿場音頭』の2番の歌詞なのですが、そのなかに「山わらじ」という言葉が入っています。そう、御殿場とわらじには、古くから切っても切れない関係があるのです。

稲わらを編んで作られるわらじは、とくに江戸時代に一般大衆に広まった履物です。同じように稲わらで作られたぞうりと比較すると、わらじは丈夫なわらで固く強く編まれていて耐久性があり、足首をひもで固定できフィット感があるため、長距離の移動や登山などに重宝されていました。

「登り一足、下りは二足」。富士登山の際、往復で3足のわらじが必要とされていた。

江戸時代、歌川広重の浮世絵でも有名な「東海道五十三次」が整備され、さらに富士山を詣でる「富士講」ブームも起こり、多くの人が江戸から御殿場周辺へと訪れるようになりました。そんななか、わらじ作りは御殿場の農家の老人たちの内職として、貴重な現金収入だったそうです。各農家で作られたわらじは、仲買業者を経由して御殿場から近い小田原宿や箱根宿などに卸され、東海道や富士山を歩く旅人たちの足を守っていました。

ところで、御殿場には「横わらじ」という言葉も残っています。これは富士登山の際に砂から足を守るために、わらじの底の部分を甲にあてがって歩くスタイルのことを指すとか。わらじが、現代でいうゲイターの役割も担っていたわけですね。

「わらじ祭り」の誕生と御殿場青年団

御殿場からもっとも近い富士山の登山口「富士山御殿場口新五合目(旧:富士山東表口登山道)」が開通したのは明治16年のこと。以来、富士登山は御殿場の人々にとってよりいっそう大きな意味を持ち始めます。

昭和42年までは、7月1日の夜に、富士山の山開きとして新橋浅間神社で盆踊りが行われていましたが、昭和43年、御殿場の30歳以下の有志で構成されていた御殿場青年団により、北駿地域で規模の大きな盆踊り大会が開催されます。昭和46年の開催時には、全国的に有名なお祭りを作ろうという機運が高まり、富士山と密接な関係があった大わらじが初めて製作されることに。そして翌年、富士登山の安全を祈願する「わらじ祭り」の第一回が、御殿場青年団の運営によって正式に開催されるに至りました。

昭和57年のわらじ神輿の様子。以前、わらじ娘は各分団から招集されていたので、所属する分団ごとに異なる法被着て参加していた。

各分団による神輿が道路上にひしめき合う、活気がピークだったころのわらじ祭り。
御殿場青年団の団員たちが、御殿場駅に大わらじを設置しているところ。駅に設置されるようになったのは昭和48年から。

わらじ娘が大わらじを担いで練り歩く「わらじ神輿」のほか、青年団の分団ごとに神輿の装飾の出来栄えを競い合う「樽みこし」、騎馬式で行う「風船割り」など、昭和時代のわらじ祭りでは、バラエティに富んだ企画が行われていたそうです。昭和51年以降は、ブルドーザーで富士山頂へ大わらじを奉納するといった大胆な試みにも取り組み、全国メディアから注目されるイベントへと成長していきました。

仮面ライダーのほか、アンパンマン、ドラえもんなど、当時流行していたアニメのキャラクターが飾られたユニークな神輿も。
昭和51年から平成2年まで、わらじ祭りの翌日にブルドーザーを使って大わらじを運搬し、富士山山頂へ奉納していた。

平成2年に開催されたわらじ祭りに参加したわらじ娘。この年を最後に、わらじ祭りが一旦終了となってしまった。

登山道開設100周年にあたる昭和58年には名称が「御殿場わらじ大祭」となり、お祭りとしてのピークを迎えますが、一方で、お祭りを支えていた青年団が縮小していくことに。そして平成2年の青年団の解散とともに、昭和47年から続いていたわらじ祭りは終焉を迎えることになります。

復活後のわらじ祭りを支えるわらじ保存会

わらじ祭りが開催されなくなってからも、長い間、市民からは復活を願う声が多く上がっていました。その声を受けて、市の職員や元青年団団員により「御殿場わらじ祭り保存会」が結成され、平成24年に夏祭りとの共催という形で復活を遂げたのです。

わらじ祭りの復活に一役を買ったのは、昭和58年(1983年)に青年団の代表を務めていた杉山和男さん(写真右下)
昭和61年、大わらじのための稲わらを編んでいる青年団の団員たち。
平成30年に開催されたわらじ祭り当日、御殿場わらじ祭り保存会のメンバー総出でわらじ神輿を準備しているところ。中には、元青年団の団員も。

御殿場わらじ祭り保存会が大わらじの製作に取り掛かるのは、お祭り本番の一か月前頃から。毎週土日に集まり、稲わらを編んで大わらじを製作します。そのほか、わらじ神輿を担ぐわらじ娘の公募を行うなど、イベントに向けた準備を進めていくそうです。

わらじ祭り当日は、行灯を持ってわらじ神輿を先導する人、神輿のそばに立って掛け声を指示する人、神輿を置く台を持って歩く人、わらじ娘の飲み物を持ち歩く人など、各々が役割をもって、わらじ神輿とそれを担ぐわらじ娘のサポートにまわります。

昔から、「わらじを上手に編める女性は良縁に恵まれる」という言い伝えがあったそう。

御殿場わらじ祭り保存会の全面的なサポートなしでは、わらじ神輿は成立しない。
御殿場わらじ祭り保存会では、随時メンバー募集中とのこと。次のわらじ祭りでは、ぜひメンバーとしてとしてわらじ祭りに参加してみては?

わらじ祭りの復活に貢献し、御殿場わらじ祭り保存会の顧問をつとめる杉山和男さんは、こう語ってくれました。
「地域ごとにユニークな神輿を作って練り歩いたり、お祭りを楽しんでもらうためのガイドを用意したり、お祭りを盛り上げる工夫はもっとあるはず。今後は、わらじ祭りを行っている福島県福島市や三重県伊勢市大王町とも交流していく予定ですし、地元の人々の参加を増やして活気を取り戻したいですね」

かつては、山開きのタイミングに「安全登山」を祈願して行われていたというわらじ祭り。復活後、日程は変わってしまいましたが、富士登山を象徴するお祭りとして御殿場にとって意味をもつことに変わりはありません。わらじを履いて御殿場を訪れた江戸時代の旅人たちに思いを馳せながら、一年に一度しかないこのお祭りを楽しんでくださいね。

※御殿場わらじ祭り保存会 問い合わせ先 tel.090-3830-2948(顧問 杉山和男)
https://www.facebook.com/warajimatsuri/

写真◎飯田昴寛
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